IE9ピン留め
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馬ヶ背
日向岬に行ってきました。
家から車で10分ちょっとです。

このあたりは柱状岩でできております。
阿蘇の噴火の火砕流だとの説もございます。

駐車場からこんな道を歩いていきます。
道の横も岩だらけ。



さらに進んでいきます。
向こうに海が見えてきました。



でも、さらに山道が続きます。



ちょっと開けてきて…



抜けると、右も左も海!



波に浸食された柱状岩の断崖が見えます。
すごーい。



その先に行くと、岬の先へ続く遊歩道があります。
絶景!!



岬の先からの眺め。
真ん中の岩、ワニみたいです。



さっきの断崖に続く入り江の奥。
曇りがちの天気なのに、なんという深くてきれいな緑色。



夏は、もっともっと海がエメラルドグリーンになってきれいだそうです。
楽しみ。





# by ts-kabakichi | 2012-01-27 08:12 | 宮崎の風景 | Comments(4)
講演会
昨日は小山で早川先生の講演会が開催されました。

子どもにも分かるような内容で、でもはっきり厳しいことはおっしゃる内容だったようです。


何回か書いてますが、私は去年7月の公開講座に行き、この事態の中で、必死に自分で勉強することの大切さを教わりました。

行政は何もしてくれない、という私の言い分に、その甘さをはっきり指摘された。
当てにならないと思ってるなら、それを嘆いてどうなるんだ?

その一言に頭を殴られた気分になった。
愕然として、落ち込んだ。

でも、行政が何もしてくれない、政府がちゃんとしてないからどうにもならないというのは、甘えに過ぎない。
だからこんなひどい目にあった、とあとから言うのは言い訳にもならないし、救われることなんか無い。
自分のことは、自分で考えて守るなり行動するなりしなくてはならない。

でも、それは噴火で人がたくさん死ぬような災害現場を数多く踏んできた中での、究極の答えなのでしょう。

生き残るためには、助けを待つのではなく、自分で生き残らなくてはならない。

誰かを当てにするということは、たとえば津波が来ても、サイレンならなかったから逃げ遅れて私は死んだじゃないか、と言うようなこと。

失敗して人のせいにしたくなるような選択だったとしたら、それは自分で納得した選択ではないのだ。

正解は無いかもしれないけれど、考えに考えて出した答えなら、納得できる。




さて、私は
その後も色々な情報を集めました。
色々な人の意見を参考にしました。

その中でも、やっぱり常にぶれない姿勢だったのが早川先生でした。
言うことは厳しい。
でも、ちゃんと理屈が通っている。
そしてよく聞いていると、突き放すわけではないやさしさがある。

この大変な事態の中で、私にとっての希望のひとつは、走り続ける早川先生なのかもしれません。

だからこそ、私だけじゃないたくさんの人に話を聞いてほしかった。
(厳しい話だけど)
その私の思いを、仲間が受け止めてくれ、早川先生も「いいよ」、と来てくださいました。

昨日は150名もの方たちが集まりました。




さて、先生はツイッターでは、さらにきつい表現をしています。
でも、それは、この事態を行政なんかに訴えていても即効性も無く間に合わない、とにかく声をあげて届く限りの範囲の個人に直接危険を伝えたい、と言う捨て身の方策です。

だからとてつもない中傷が来ます。
昨日の講演会のまとめを作りたくて、初めてツイッターで早川先生の名前などで検索しました。
ものすごい中傷の嵐です。
見ている私が具合が悪くなるくらい。

勤務先にも文部科学省にも中傷や苦情が来ます。
でも、知ってしまった危険を伝えなくては後悔するから、ただそれを実行するだけという姿勢は変わりません。

自分の意思を通す。
その強さがある。
だから、ひるむことなんか無い。

ひるがえって、中傷している大半は匿名の人たちは、だれかが言い出した、ちょっと気が利いている風に見える中傷を繰り返すだけ。
ただ繰り返すだけで、自分の意見を付け加えることもない。
ま、もともと理論が通っていないことが多いので、理解すらできていないのだろう。
「えーと、そのギャグよく分からないけど、笑っておかないとついていけないから笑っておこう。」というのに似てる。
流されるだけで自分の信じる道が無い人間は、あの厳しさについていけないのだろう。

だからって、攻撃して何か解決になるのかどうか。



私は自分自身がうっかりしないように、先生の言葉をちゃんと繰り返そう。

「いま勉強しないと 死ぬぞ」

納得できる道を選ぶことができるように、流されずに生きて行きたい。




※昨日の講演会のスライドです。
http://gunma.zamurai.jp/pub/2012/fukushima120122oyama.pdf
# by ts-kabakichi | 2012-01-23 14:54 | 思うこと | Comments(2)
チェルノブイリハート
昨日、市内で開催された、映画「チェルノブイリハート」の上映会に行ってきた。

構成は

1.「ホワイトホース」

2.「チェルノブイリハート」

3.「3.11ハッピーバースディ」



1.「ホワイトホース」

故郷のプリピャチに20年後に戻った青年の姿を捉える。ホワイトホースは、彼が子ども時代をすごした部屋の壁に飾ってあった大きな白い馬のポスター。
アパートの中には、彼の父が廊下に取り付けた鉄製の肋木が残っていた。
「これは火事場泥棒も持ち出せなかったんだな」と彼は言う。
避難当時、私物の持ち出しを許されなかった家の中には、もうほとんど何も無い。
肋木、ポスター、彼の兄が使っていたゴムボールくらい。
すべて、誰かが持ち去ってしまったのだろう。

窓の向こうにはチェルノブイリ原子力発電所の姿が見える。
10歳だった彼は、その火事が面白くて、近くまで見に行ったそうだ。
親には止められたけれど、寝静まるのを待って。

この撮影の1年後、彼は病死する。


※失われたプリピャチはさぞきれいな町だったのだろう。
そこで普通に営まれていた生活が根こそぎ奪われること。
生活だけではなく、健康まで奪われること。
それが、目に見えない放射能の持つ恐ろしさ。



2.「チェルノブイリハート」

映像はチェルノブイリ原子力発電所を遠望するところから始まる。
線量計が警告音を出し、線量は通常の都市ぶの1000倍だという。
そして、健康を害された子どもたちの様子が映し出される。
普通に成長できないこども、脳性まひを持つ子、知能障害を持つ子ども。
医師は、事故後、こういった障害を持つ子どもたちが増えていると言う。
また甲状腺がんの子どもたちも出てくる。
一人は、1986年4月生まれ。その直後にチェルノブイリの事故が起こっている、だから私は首の病気になったのだ、と言う。
最後は心臓疾患の子どもたち。
心室中核欠損や心房中核欠損。
どうやらアメリカのプロジェクトで手術を行っているらしい。
チェルノブイリ事故後の心臓疾患のことをチェルノブイリハートと呼ぶそうだ。
心室中核欠損や心房中核欠損は先天性のもので、ごく小さい穴であれば、成長とともにふさがるが、穴が大きかったり複数ある場合は、心臓から全身に行くはずの血液が肺に流れ込んだりするので、肺に負担がかかる。
もとから見られる病気だが、増加しているのだろうか。


※おそらく、ここに出てくる子どもたちは少なからずチェルノブイリ事故の影響を受けているのだろう。
でも、事故以前にも、色々な病気を持つ子どもは生まれている。
そして、ここには親に捨てられた子どもたちが多く出てきた。
それはチェルノブイリの影響もあるのかもしれない。
でも、違う背景もあるのかもしれない。

センセーショナルな映画だが、これだけがすべてなのだろうか、と、私は考え込んでしまった。



3.「3.11ハッピーバースデイ」

よかったらご覧ください。


※これがチェルノブイリハートの後に来ることに、私は猛烈な違和感を覚えてしまった。

これは、「希望」をテーマにした映像。
この子どもたちにはまだ「希望」があるだろう。私たちは、この子たちに希望を見ている。

でも、少なくともチェルノブイリハートに出てきた子どもたちには、それがあるのか?
あの子たちに私たちは希望を見出すことができるのか?

手術を待つ子どもたち。
大きな障害を持って生まれ、親の愛情も得られず部屋にぎゅうぎゅうに並んだ小さなベッドの上で過ごす子どもたち。

その映像の直後に、この子どもたちの映像。
対比させることを、狙っているのか?
それとも、あまりにも悲惨な内容をカバーするためか?


企画者は、チェルノブイリのような悲惨なことをおこさないよう、希望を持って対処していってほしいという意図なのだろうか。




すっきりしない感覚が残った。







# by ts-kabakichi | 2012-01-21 11:11 | 思うこと | Comments(0)
海のある風景
家の近くの海岸です。
ウミガメの産卵地でもあるところ。荷物が届いた翌日に行ってみました。


貝殻ひろったチビ。


波打ち際で遊んでいる子どもたち。
波が来た、逃げろ~。


でも、結局水に入って遊んでしまいました。
いくら南とは言っても年末の海。
砂浜で遊んでいる人すらいません。みんな、近くの公園で防寒着で遊んでます。






こちらは、初詣に行った神社。
海のすぐそばにあります。
山じゃなく、海を背にしています。
これって初めて見たので面白い。奥の院は海の向こう?



神社境内?の岩。二種類の岩がくっきり分かれています。
火砕流は、8万7千年前の阿蘇4火砕流でしょう、と火山の早川先生が私の写真を見て教えてくださいました。
そうやって見ると、九州は火の山を抱える島なのだなあとよく分かります。



# by ts-kabakichi | 2012-01-10 15:22 | 宮崎の風景 | Comments(6)
あけましておめでとうございます
遅ればせながら、
あけましておめでとうございます。

年末に、父ちゃんの転勤先である宮崎県日向市に引っ越しました。
大好きだった小山には2年弱しかいられませんでしたが、家族一緒が一番なので、南国にやってきました。


初日の出を見に、近くの海岸に行きました。
父ちゃんがウミガメの赤ちゃんを見たところ。

海岸を抱える地区の夜通しの年越し行事があるという話で、それを探したら、人がたくさんいました。


父ちゃんの会社の人もいて、その解説によると、本厄と前厄、後厄の男の人たちが集まって年越しをするそうです。

まずは年下の前厄から日の出る方角に向かって礼。



礼をする前後に、他の人たちに向かって一列に並んで挨拶。

年功序列がきっちりしています。



ところで、とてつもない規模の焚き火が行われとりました。



これで掘ったな。
# by ts-kabakichi | 2012-01-07 13:44 | 日常 | Comments(6)
鼻歌
チビはよく鼻歌まじりでご機嫌に遊んでいます。

最近は幼稚園のクリスマス会の降誕劇の歌。
「さあベツレヘムへ見に行こう~すばらしいできごこーとーを♪」とか歌ってます。

そのほかによく聞こえてくるのが、NHKのスポーツ放送の冒頭に流れる曲。

これね



どうしてなのかよくわかりません。
でもお気に入りらしい。

ただ、4歳児の心をもつかむメロディーであることは確かですな。

頭の中から消えないよ~。


# by ts-kabakichi | 2011-12-24 03:20 | チビ | Comments(0)
父の言葉
メモが出てきたので忘れないために書いときます。
父の言葉。
亡くなる3週間前のもの。
もう10数年前のことです。



今夜はなんだか具合が悪くなりそうだから、ひとつ話しておきたい。

お葬式、自分の。
結婚式に呼ぶメンバーのようなごく内輪のものにしなさい。
大がかりにはしない。繰り上げ法要済ませ、広告を出すとしても後から。納骨は49日後。
葬儀委員長はいらない。
経歴書は青い表紙のに書いてある。雑に書いてあるから手を入れて欲しい。

いろいろな手配を出来る人を頼むこと。それが心配。
お母さんは知らないだろうから。
留守番、買い物を頼む人は複数にしておくこと。2人とか3人に。
出席者は兄貴のようなのが楽しかった。身内がいい。
近所のAさんとか普段から冗談を言い合っていた人がいるのもいい。
会社は退職してもう20年たっているし。
知らない人がたくさん来てのどんちゃん騒ぎはよくない。


これまで楽しかったよ、家族で。
いろいろ苦労したことはあったけど、過ぎてしまえば、済んだことで、楽しい思い出だけ。
他人が一緒になってよく楽しくやってこれた。
人生を振り返ると、いい人生だった。
満足している。


お前が早く嫁に行っていたら新しい家を建てるつもりだった。(新しい家から出したかった)
孫のことは、同年代でも子どもが小さいから孫は無理という人も(ほかにも)いる。

だんだん時間が分からなくなってきたり、幻覚を見るので不安。
病気が病気だから仕方ない。




このころ、父はがんの闘病中で、モルヒネの投与量が増えていました。

でも、その中で意識がはっきりしているときに、私に話したのでしょう。
母に言うとショックを受けるから私に言ったのだと思います。


父が亡くなったのは、私が結婚する前の月のことでした。
間に合わなかったという思いと、最後まで近くにいられてよかった、という思いの両方がありました。

それから10年以上たち、自分の息子にちょっと父の面影を見るようになりました。

人はちゃんとつながっていくんだなあ、と思います。





# by ts-kabakichi | 2011-12-24 03:00 | その他 | Comments(2)
最近
12月に入ってから、「子どもと放射能について考える会 小山」なるものを開催しました。
きちんと放射能汚染について話し合える場所を作りたくて。
そうしたらですね、それほど告知もしていないのに、39名もの参加がございました。
事務局をしてくださる仲間もあらわれ、有意義な集まりでありました。(手前味噌ですが。)

その後もそのときの仲間と市役所に問い合わせに行ったり、情報交換したり。

そして、来月また勉強会を開く事も決定。
さらに外部講師を招いて講演会も開くことになりました。
日曜日に私がやりたいと言い出し、火曜日にツイッターで話し合い、昨日水曜日の昼に集まって相談し、午後講師に依頼。
即ご快諾いただき、告知開始。
本日昼過ぎまでに、ツイッターでの募集80名枠は埋まりました。
すごいスピードでございます。

ちなみに、早川先生をお招きすることになりました。

ご自分で告知までしてくださるその行動力と早さに、ただただ驚いています。
先生、ありがとうございます。
そして、私の思いつきに賛同して動いてくださった皆さん、本当にありがとうございます。


そんなこんなで、こちらの更新が滞っております。

で、こんなことをやってます。

「母ちゃん一揆勃発」
http://togetter.com/li/226889



# by ts-kabakichi | 2011-12-22 16:42 | 思うこと | Comments(0)
群馬大学早川先生
昨日、ネットでこんな記事が出た。


(以下引用)

「国立大教授として不適切」と訓告
ゆかしメディア
http://media.yucasee.jp/posts/index/9763


群馬大学は、教育学部の火山学者・早川由紀夫教授を訓告処分とした。東京電力福島第一原発の事故について、自身のツイッター上で発言したことが理由。

 早川教授は独自に放射能汚染地図を作製したり、事故後に、農家の作物の育成に反対意見などをツイッター上で発言してきた。これらを、同大学は「国立大学の教授として不適切な発言」とした。

 早川教授のツイートによると、同大学は9月7日の口頭注意「不適切な言動」「配慮を欠く」などのあとの9月14日、学長は各部局長あてに「インターネットを活用した発言について」と題する注意喚起文書を送付していたという。

 このツイッターは、3万人以上のフォロワーが登録されており、脱原発のユーザーに広く読まれている。

(引用ここまで)


早川先生が、生産者に対して注意喚起を促すために、きつい言葉遣いをしてきたのは事実だ。
私も、その言葉のきつさにはたじろぐ。
でも、それはすべて個人としての意見だ。
それで誰か周りを煽ろうとはしていない。
言葉の厳しさにびっくりするが、それをよく考えると、言っていることは一貫している。

汚染されたところを知らなくてはならない。
放射能に汚染されたものを外に出してはいけない。

そういうことだ。

まず、ツイッターというつぶやきのメディアに責任が生じるというなら、東京都の副知事なんて「数値が読めない主婦はパートでもなんでもして社会人になれ」と、水道水の放射性物質の数値に不安になった母親たちに暴言を吐いた。
そんなのは、問題にも報道もされていない。
私は、あのときに、ツイッターと言うのは追求を受けないメディアなのだと認識した。
それをわかって猪瀬氏は発言しているのだろうと。

でも、どうやら違うらしい。
今回は、暴言教授みたいな感じの取り上げ方だ。
まあ、一部を取り上げて報道するのもどうかと思うが、次の一文は捨て置けない。

「早川教授は独自に放射能汚染地図を作製したり、事故後に、農家の作物の育成に反対意見などをツイッター上で発言してきた。これらを、同大学は「国立大学の教授として不適切な発言」とした。」

1.まず日本語としえつながりがおかしい。
地図を作製したり、…発言してきた。これらを、…「…不適切な発言」とした。

「地図作製」と「発言」が、「これら」として同列に受けられ「不適切な発言」とされている。

地図作成は発言ではない。

2・地図の作成は、今回の不適切な発言とは全く関係が無い。



それから、脱原発のユーザーってなんだ?
そういうくくりがあるのかねえ。

それ自体もおかしいけど、早川マップは今起きた放射能汚染をどうよけるのかの指針であって、脱原発とは関係ない。
そんなの、ちゃんと見ていれば分かることだろうに。



こういう報道の仕方を見ると、放射能汚染マップ事態を忌み嫌う圧力、つまり最後に言葉が出てきた「脱原発」を嫌う圧力があるんじゃないか、と疑いたくなる。

水道水の「安全性」を強調した副知事発言は、問題にならないことも、そう考えると理解できる。






# by ts-kabakichi | 2011-12-09 13:05 | 思うこと | Comments(0)
被災地にて
ずっと考えていたことだったのだけれど、津波の被災地を見に行ってきた。

最初は、何も手伝うこともせずに自分で行って見てくるなんて考えもしなかった。

でも、行って自分たちの目で見なくてはならないとの思いが出てきた。
行こうと思えば行ける距離。
近くの駅から新幹線一本で、宮城に続いているのだから。


父ちゃんに相談して、行ってみたいと言ったら、いいよ、と新幹線もレンタカーも手配してくれた。
(レンタカーのことは仕事で使うので手馴れている。)

普通の旅行とは違って、計画はしても、行く前から気が重い旅だったた。



まずは小山駅から新幹線に乗り、仙台へ。
1時間半ちょっとの道中。

新幹線の車内では、放射線量も計測。

結果は那須塩原駅から福島駅のちょっと先までは、車内でも0.2マイクロシーベルト/時を超えていた。
時間にして約50分間、距離にすると110kmくらい。
郡山を少し過ぎたところでは、0.6マイクロを超える値も。
0.6マイクロシーベルト毎時と言う数値は、国が定める放射線管理区域の基準。

とてつもない範囲が高い放射線量を示していて、福島県が広い範囲で汚染されてしまっていることをいやでも実感せざるを得ない。

風景は、何一つ変わらないのに、私の眺めている線量計が示す過酷な事実だ。

福島駅にて。0.346マイクロシーベルト/時。



仙台駅でレンタカーを借りて、北を目指す。

海岸線に出るのが、こわい。


最初に出た海辺の、松島はそれほど被害を受けなかったようで、観光地としての姿を取り戻していた。
まるで何もなかったかのような風景に、ちょっとほっとした。


しかし、石巻まで来ると、瓦礫を積んだトラックが目に入るようになり、壊れた建物が目に入るようになった。
海岸近くの住宅地の、壊れた家々の姿。

やはり、本当に津波は来たのだ、といまさらながらに思う。



そのまま、男鹿半島方面へ。

女川の町のあたりにくると、もう建物はほとんど何もない。

瓦礫も片付けられ、建物があった形跡が残る道を進むと、海が道路近くに迫っている。
海岸が沈降している。

でも、道路が山の上にのぼると、また何も変わらないような眺めになる。

また、道を下って集落があったところにくると、散らばったものと、家の土台のあとなどが、そこに町があったことを示すだけ。


石巻市雄勝町。


瓦礫の山。


雄勝中学校。
手前に家の土台が残る。


この先の道路わきに
「雄勝町へまたどうぞ」という古びた看板が立っていた。

でも、その町は、もう無いのだ。
残った看板だけが、町の存在を、町があったときのままに伝えていることに胸をつかれる。





山に入ると、また普通の風景。
でも、下り始めると、ぐちゃぐちゃになった田畑が見えてくる。
こちら側にも、津波が来たのだ。

そして、その先にあるのが、大川小学校。
多くの子ども達が、逃げ遅れ、犠牲になったところだ。


裏山に逃げる判断をしていれば、と誰もが暗澹たる思いにとらわれるだろう。


献花台に、以前の風景写真が飾ってあった。
学校の周りに住宅街が広がる、ごく普通の風景。
それが、診療所の建物と学校の建物の一部を残して、消えている。

なんということだろう。



さらに先の南三陸町にも足を運んだ。

山の中は普通の風景なのだが、ところどころに仮設住宅が見え、はっとする。


そして、町には大きな建物以外は何もなかった。
4階建ての病院は、3階までの窓ガラスがすべて無くなっている。
海近くの階建てのマンションの屋根の上には、壊れた家が乗っている。

一角には壊れた車が保管してある場所があった。
どれも原型をとどめないくらい壊れている。



そんな中にも、「クリスマスケーキ予約受付中」というのぼりを出している小さな店があった。
食堂もあった。

食堂は休みだったけれど、道路わきに大型バスを改造した移動式のラーメン屋が出ていたので、そこに入った。
バスの座席で食べるラーメン。
私たちのほかには、仕事で来ているらしい制服のジャンパー姿のふたり。

バスの窓の向こうに見えるのは、激しく降る雨の中、家の土台だけが残る風景。

不思議な現実。











元来た道を帰るとき、「またどうぞ南三陸町へ」という看板があった。
立派な看板だ。

でも、ここでも、その町は無い。



今年のあの3月の地震のとき、私の住んでいるところでも震度5強のゆれで、大変なことになった。
でも、あのとき、ここではたくさんの町が消えてしまったのだ。
たくさんの命も消えてしまったのだ。

私の3.11の地震と、報道で見ていた津波のことが、初めてつながった。
あの揺れが、こんなことをおこしていたのだ。

地続きのところで起こっていたことを、私は何も知らずにいたのだ、とあらためて思う。









# by ts-kabakichi | 2011-12-05 04:02 | 思うこと | Comments(0)

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