このタイトルは、私の通っていた高校の実行精神です。
高校関係の掲示板で最近話題になっていたので、思い出しました。
大人になってから読み返してみると、なかないいなあ、と思います。
「やれるだけやる」っていうのは、手を抜かないという意味もあるけれど、無理するなというメッセージ性をつよく感じてしまうのは、私があの頃より、ずっと年をとったせいでしょうね。。。
なお、校訓は、『自由』『自立』『叡智』『創造』
言葉通り本当に自由で、服装も遠足の行き先も全部自由でした。ってことは、自分たちで考えなきゃいけなかったんですが。
でも、この学校で、私はその後の人生に役立つ色々を学んだなあ、と今になって思います。
自分の意思ですごく行きたいと思ったわけではなく、深く考えずに何となく選んだ学校でしたが、今思い返してみても、この学校に通えたことは、本当にラッキーな選択でした。
とにかく、楽しいことが多い3年間でした。
学校祭などが盛り上がるのはもちろん、運動会、球技大会、遠足などなど行事もいろいろあって全力で参加していた気がします。
ユニークだったのは節分の豆まき。
節分の日、廊下の方から騒がしい音がすると思ったら、突然教室の扉を開けて鬼が乱入してきて、「鬼はーそとー、福はうちー」と叫びながらマメ(落花生)をまいて通り過ぎていくのです。
「鬼」の正体は、受験のために自宅学習期間に入った3年生。
この行事、恒例なのですが、知らないのは1年生だけ。
びっくりする生徒たちをしり目に、先生は平然とそれをやりすごし、そのまま授業を続けているのでした。
また、廊下にある日突然、長い巻紙に筆書きの挑戦状が貼り出されることがありました。
こ汚い筆字で、「われわれ生徒有志は、○高教職員に試合を申し入れる。」という内容と、日時(大体土曜の午後)、対決の場所(グラウンド)が書かれています。
で、当日その場に見学に行くと、行われているのは野球の試合。
ごく当たり前に、ちゃんと揃いのユニフォームを着た先生たちのチームと、ジャージ姿の生徒たちがのほほんと野球をしているのでした。
運動会での応援合戦では、下駄取りというイベントがあり、去年の優勝チームの応援団長が放り投げた下駄を、応援団員たちが入り乱れて奪い合ってたり。
公然の殴り合いみたいなもんでけが人も出ていたようですが、見るほうも参加するほうも、こういうのでストレス発散してたのかもしれませんね。
それからおかしかったのは、入学後の父の一言。
「お父さんも同じ学校に通ってたんだよ。」
…全然知りませんでした。
なお、父が通っていたのは前身の旧制中学でした。。。
さて、大人になって母ちゃんになって、なんだか全開で慌しい毎日。
改めて、
「やることはやる やるときはやる やれるだけやる」
というのを、心に留めておこうと思ったのでした。
なお、
「できることはする できるときにする できるぶんだけする」
と都合よく読みかえてね。