戦争についての続きです。
前回の記事にキッキーさんからコメントをいただいて、ひとつの言葉がとても心に残りました。
「戦争をしたい人はかやの外」ということ。
以前、評論家の斉藤次郎さんと、戦争について少しお話をしたことがあります。
普段は子どもたちと接している斎藤次郎さんなのですが、こどもが戦いごっこをするのはどうなんでしょうか?と聞く私にキッパリとこうおっしゃいました。
「戦争ごっこをしている子どもが、大人になって戦争をするわけではないでしょう?」
そうなんです。
戦争をするのは、上層部にいる人、政治家など、国を動かしている人たちなんですよね。
戦争ごっこが好きだった子どもが大人になって、自分たちがどんぱちしたくて戦争をするわけではないんです。
戦争を始める人は前線にはいないんですよね。。。
戦争をする人たちは、実際に傷つく人たちの痛みを知らないんだろうか?
利権の方が大事なのだろうか?
それから、「戦争をさせないために、私には何ができるんでしょう?」という私に
「何かしなくてはだめでしょう?いくらでも反戦集会してるじゃない。そういうところに行きなさい。」と。
そうなんですよね。
何かしなくてはならない。
でも、いまひとつ踏み出せない私もいけないんだろうな。
…でもでも、子どもたちに少しずつでも伝えていくことは出来るかな?
また、子どもに伝えるために、と一冊の絵本を紹介してくださいました。
「せかいでいちばんつよい国」
デビッド・マッキー著
光村教育図書
興味のある方は、一度読んでみてください。
図書館にもおいてあります。
それから、父のことについて。
父は10年前に亡くなりましたが、最期のころ、モルヒネで幻覚を見るようになった頃に、はっきりとは言いませんでしたが、
「あのとき、ああしなくてはならなかったのは仕方なかったのかな」といったことを、聞いてきました。
それを聞いた私は、前後の流れから戦争中のことだろうな、とはっとしました。
だからとっさに
「それでよかったんじゃないかな?」と答えました。
そうしたら、ちょっと安心したようでした。
普段私たちには、戦争中のことでもある程度面白かった話しかしなかった父です。
でも、話すことの出来ない過酷な体験がたくさんあったはずです。
そのことの方が、ずっとずっと多かったのでしょうね。
でも、悲惨すぎて、子どもたちには言えなかったのでしょう。
思い出すのもいやだったのでしょう。
それが、50年以上たっても、人生の最後になっても、
その人の心を痛めている。
ああ、戦争と言うのはなんてひどいものなんだろうな、と思いました。
心にものすごい傷を与えてしまうものだと。
そんな体験を、「戦争をしていた人」(上層部の人)は、知っているのでしょうか?
それから、キッキーさんのコメントへの返事にも少し書いたのですが、同時期を国内で生きてきた人にも、大きな傷を与えているんですよね。
母は、同世代がたくさん亡くなっていったグアムやサイパンにはとても行けないと言います。
沖縄や広島に行くこともつらいし、原爆資料館には絶対行けないと。
一度、一緒に父が戦前に仕事で住んでいたことのあるパラオを訪れたのですが、
パラオにも戦争の後がところどころにそのまま残っています。
塩を作っていた洞窟、草地に取り残された朽ち果てた戦車など、あちこちで目にしました。
海の中に沈む戦闘機の横を、遊覧船が通りかかったとき、ガイドからその話を聞いた人たちがカメラを向け写真を撮っていました。
私も何となくカメラを向けようとしたとき母が言いました。
「とても写真を撮る気になんてなれない」と。
そのときも、はっとしました。
沈んだ飛行機がある、と言うことはそれを操縦していた人はそこで亡くなっているのです。
戦闘で亡くなっているのです。
そのことに、私は気づかなかったということがショックでした。
そして、やはり母は戦争のことを決して忘れてはいないのです。
体験としていつも抱えているのです。
戦争を体験してきた母と、話を聞いているだけの私の大きな違いだと思いました。
でも、話を聞いただけの私も、忘れてはいけない、あらためてそう思いました。