今日はどこへ行くの?

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あけましておめでとうございます

遅ればせながら、
あけましておめでとうございます。

年末に、父ちゃんの転勤先である宮崎県日向市に引っ越しました。
大好きだった小山には2年弱しかいられませんでしたが、家族一緒が一番なので、南国にやってきました。


初日の出を見に、近くの海岸に行きました。
父ちゃんがウミガメの赤ちゃんを見たところ。

海岸を抱える地区の夜通しの年越し行事があるという話で、それを探したら、人がたくさんいました。
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父ちゃんの会社の人もいて、その解説によると、本厄と前厄、後厄の男の人たちが集まって年越しをするそうです。

まずは年下の前厄から日の出る方角に向かって礼。


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礼をする前後に、他の人たちに向かって一列に並んで挨拶。

年功序列がきっちりしています。


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ところで、とてつもない規模の焚き火が行われとりました。


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これで掘ったな。
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# by ts-kabakichi | 2012-01-07 13:44 | 日常

鼻歌

チビはよく鼻歌まじりでご機嫌に遊んでいます。

最近は幼稚園のクリスマス会の降誕劇の歌。
「さあベツレヘムへ見に行こう~すばらしいできごこーとーを♪」とか歌ってます。

そのほかによく聞こえてくるのが、NHKのスポーツ放送の冒頭に流れる曲。

これね



どうしてなのかよくわかりません。
でもお気に入りらしい。

ただ、4歳児の心をもつかむメロディーであることは確かですな。

頭の中から消えないよ~。
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# by ts-kabakichi | 2011-12-24 03:20 | チビ

父の言葉

メモが出てきたので忘れないために書いときます。
父の言葉。
亡くなる3週間前のもの。
もう10数年前のことです。



今夜はなんだか具合が悪くなりそうだから、ひとつ話しておきたい。

お葬式、自分の。
結婚式に呼ぶメンバーのようなごく内輪のものにしなさい。
大がかりにはしない。繰り上げ法要済ませ、広告を出すとしても後から。納骨は49日後。
葬儀委員長はいらない。
経歴書は青い表紙のに書いてある。雑に書いてあるから手を入れて欲しい。

いろいろな手配を出来る人を頼むこと。それが心配。
お母さんは知らないだろうから。
留守番、買い物を頼む人は複数にしておくこと。2人とか3人に。
出席者は兄貴のようなのが楽しかった。身内がいい。
近所のAさんとか普段から冗談を言い合っていた人がいるのもいい。
会社は退職してもう20年たっているし。
知らない人がたくさん来てのどんちゃん騒ぎはよくない。


これまで楽しかったよ、家族で。
いろいろ苦労したことはあったけど、過ぎてしまえば、済んだことで、楽しい思い出だけ。
他人が一緒になってよく楽しくやってこれた。
人生を振り返ると、いい人生だった。
満足している。


お前が早く嫁に行っていたら新しい家を建てるつもりだった。(新しい家から出したかった)
孫のことは、同年代でも子どもが小さいから孫は無理という人も(ほかにも)いる。

だんだん時間が分からなくなってきたり、幻覚を見るので不安。
病気が病気だから仕方ない。




このころ、父はがんの闘病中で、モルヒネの投与量が増えていました。

でも、その中で意識がはっきりしているときに、私に話したのでしょう。
母に言うとショックを受けるから私に言ったのだと思います。


父が亡くなったのは、私が結婚する前の月のことでした。
間に合わなかったという思いと、最後まで近くにいられてよかった、という思いの両方がありました。

それから10年以上たち、自分の息子にちょっと父の面影を見るようになりました。

人はちゃんとつながっていくんだなあ、と思います。
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# by ts-kabakichi | 2011-12-24 03:00 | その他

最近

12月に入ってから、「子どもと放射能について考える会 小山」なるものを開催しました。
きちんと放射能汚染について話し合える場所を作りたくて。
そうしたらですね、それほど告知もしていないのに、39名もの参加がございました。
事務局をしてくださる仲間もあらわれ、有意義な集まりでありました。(手前味噌ですが。)

その後もそのときの仲間と市役所に問い合わせに行ったり、情報交換したり。

そして、来月また勉強会を開く事も決定。
さらに外部講師を招いて講演会も開くことになりました。
日曜日に私がやりたいと言い出し、火曜日にツイッターで話し合い、昨日水曜日の昼に集まって相談し、午後講師に依頼。
即ご快諾いただき、告知開始。
本日昼過ぎまでに、ツイッターでの募集80名枠は埋まりました。
すごいスピードでございます。

ちなみに、早川先生をお招きすることになりました。

ご自分で告知までしてくださるその行動力と早さに、ただただ驚いています。
先生、ありがとうございます。
そして、私の思いつきに賛同して動いてくださった皆さん、本当にありがとうございます。


そんなこんなで、こちらの更新が滞っております。

で、こんなことをやってます。

「母ちゃん一揆勃発」
http://togetter.com/li/226889
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# by ts-kabakichi | 2011-12-22 16:42 | 思うこと

群馬大学早川先生

昨日、ネットでこんな記事が出た。


(以下引用)

「国立大教授として不適切」と訓告
ゆかしメディア
http://media.yucasee.jp/posts/index/9763


群馬大学は、教育学部の火山学者・早川由紀夫教授を訓告処分とした。東京電力福島第一原発の事故について、自身のツイッター上で発言したことが理由。

 早川教授は独自に放射能汚染地図を作製したり、事故後に、農家の作物の育成に反対意見などをツイッター上で発言してきた。これらを、同大学は「国立大学の教授として不適切な発言」とした。

 早川教授のツイートによると、同大学は9月7日の口頭注意「不適切な言動」「配慮を欠く」などのあとの9月14日、学長は各部局長あてに「インターネットを活用した発言について」と題する注意喚起文書を送付していたという。

 このツイッターは、3万人以上のフォロワーが登録されており、脱原発のユーザーに広く読まれている。

(引用ここまで)


早川先生が、生産者に対して注意喚起を促すために、きつい言葉遣いをしてきたのは事実だ。
私も、その言葉のきつさにはたじろぐ。
でも、それはすべて個人としての意見だ。
それで誰か周りを煽ろうとはしていない。
言葉の厳しさにびっくりするが、それをよく考えると、言っていることは一貫している。

汚染されたところを知らなくてはならない。
放射能に汚染されたものを外に出してはいけない。

そういうことだ。

まず、ツイッターというつぶやきのメディアに責任が生じるというなら、東京都の副知事なんて「数値が読めない主婦はパートでもなんでもして社会人になれ」と、水道水の放射性物質の数値に不安になった母親たちに暴言を吐いた。
そんなのは、問題にも報道もされていない。
私は、あのときに、ツイッターと言うのは追求を受けないメディアなのだと認識した。
それをわかって猪瀬氏は発言しているのだろうと。

でも、どうやら違うらしい。
今回は、暴言教授みたいな感じの取り上げ方だ。
まあ、一部を取り上げて報道するのもどうかと思うが、次の一文は捨て置けない。

「早川教授は独自に放射能汚染地図を作製したり、事故後に、農家の作物の育成に反対意見などをツイッター上で発言してきた。これらを、同大学は「国立大学の教授として不適切な発言」とした。」

1.まず日本語としえつながりがおかしい。
地図を作製したり、…発言してきた。これらを、…「…不適切な発言」とした。

「地図作製」と「発言」が、「これら」として同列に受けられ「不適切な発言」とされている。

地図作成は発言ではない。

2・地図の作成は、今回の不適切な発言とは全く関係が無い。



それから、脱原発のユーザーってなんだ?
そういうくくりがあるのかねえ。

それ自体もおかしいけど、早川マップは今起きた放射能汚染をどうよけるのかの指針であって、脱原発とは関係ない。
そんなの、ちゃんと見ていれば分かることだろうに。



こういう報道の仕方を見ると、放射能汚染マップ事態を忌み嫌う圧力、つまり最後に言葉が出てきた「脱原発」を嫌う圧力があるんじゃないか、と疑いたくなる。

水道水の「安全性」を強調した副知事発言は、問題にならないことも、そう考えると理解できる。
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# by ts-kabakichi | 2011-12-09 13:05 | 思うこと

被災地にて

ずっと考えていたことだったのだけれど、津波の被災地を見に行ってきた。

最初は、何も手伝うこともせずに自分で行って見てくるなんて考えもしなかった。

でも、行って自分たちの目で見なくてはならないとの思いが出てきた。
行こうと思えば行ける距離。
近くの駅から新幹線一本で、宮城に続いているのだから。


父ちゃんに相談して、行ってみたいと言ったら、いいよ、と新幹線もレンタカーも手配してくれた。
(レンタカーのことは仕事で使うので手馴れている。)

普通の旅行とは違って、計画はしても、行く前から気が重い旅だったた。



まずは小山駅から新幹線に乗り、仙台へ。
1時間半ちょっとの道中。

新幹線の車内では、放射線量も計測。

結果は那須塩原駅から福島駅のちょっと先までは、車内でも0.2マイクロシーベルト/時を超えていた。
時間にして約50分間、距離にすると110kmくらい。
郡山を少し過ぎたところでは、0.6マイクロを超える値も。
0.6マイクロシーベルト毎時と言う数値は、国が定める放射線管理区域の基準。

とてつもない範囲が高い放射線量を示していて、福島県が広い範囲で汚染されてしまっていることをいやでも実感せざるを得ない。

風景は、何一つ変わらないのに、私の眺めている線量計が示す過酷な事実だ。

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福島駅にて。0.346マイクロシーベルト/時。



仙台駅でレンタカーを借りて、北を目指す。

海岸線に出るのが、こわい。


最初に出た海辺の、松島はそれほど被害を受けなかったようで、観光地としての姿を取り戻していた。
まるで何もなかったかのような風景に、ちょっとほっとした。


しかし、石巻まで来ると、瓦礫を積んだトラックが目に入るようになり、壊れた建物が目に入るようになった。
海岸近くの住宅地の、壊れた家々の姿。

やはり、本当に津波は来たのだ、といまさらながらに思う。



そのまま、男鹿半島方面へ。

女川の町のあたりにくると、もう建物はほとんど何もない。

瓦礫も片付けられ、建物があった形跡が残る道を進むと、海が道路近くに迫っている。
海岸が沈降している。

でも、道路が山の上にのぼると、また何も変わらないような眺めになる。

また、道を下って集落があったところにくると、散らばったものと、家の土台のあとなどが、そこに町があったことを示すだけ。


石巻市雄勝町。
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瓦礫の山。
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雄勝中学校。
手前に家の土台が残る。
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この先の道路わきに
「雄勝町へまたどうぞ」という古びた看板が立っていた。

でも、その町は、もう無いのだ。
残った看板だけが、町の存在を、町があったときのままに伝えていることに胸をつかれる。





山に入ると、また普通の風景。
でも、下り始めると、ぐちゃぐちゃになった田畑が見えてくる。
こちら側にも、津波が来たのだ。

そして、その先にあるのが、大川小学校。
多くの子ども達が、逃げ遅れ、犠牲になったところだ。
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裏山に逃げる判断をしていれば、と誰もが暗澹たる思いにとらわれるだろう。
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献花台に、以前の風景写真が飾ってあった。
学校の周りに住宅街が広がる、ごく普通の風景。
それが、診療所の建物と学校の建物の一部を残して、消えている。

なんということだろう。



さらに先の南三陸町にも足を運んだ。

山の中は普通の風景なのだが、ところどころに仮設住宅が見え、はっとする。


そして、町には大きな建物以外は何もなかった。
4階建ての病院は、3階までの窓ガラスがすべて無くなっている。
海近くの階建てのマンションの屋根の上には、壊れた家が乗っている。

一角には壊れた車が保管してある場所があった。
どれも原型をとどめないくらい壊れている。



そんな中にも、「クリスマスケーキ予約受付中」というのぼりを出している小さな店があった。
食堂もあった。

食堂は休みだったけれど、道路わきに大型バスを改造した移動式のラーメン屋が出ていたので、そこに入った。
バスの座席で食べるラーメン。
私たちのほかには、仕事で来ているらしい制服のジャンパー姿のふたり。

バスの窓の向こうに見えるのは、激しく降る雨の中、家の土台だけが残る風景。

不思議な現実。

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元来た道を帰るとき、「またどうぞ南三陸町へ」という看板があった。
立派な看板だ。

でも、ここでも、その町は無い。



今年のあの3月の地震のとき、私の住んでいるところでも震度5強のゆれで、大変なことになった。
でも、あのとき、ここではたくさんの町が消えてしまったのだ。
たくさんの命も消えてしまったのだ。

私の3.11の地震と、報道で見ていた津波のことが、初めてつながった。
あの揺れが、こんなことをおこしていたのだ。

地続きのところで起こっていたことを、私は何も知らずにいたのだ、とあらためて思う。
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# by ts-kabakichi | 2011-12-05 04:02 | 思うこと

けが

先週、ムスメが剣道の稽古中に転んでけがをしました。
左足の薬指骨折です。
とはいえ、中指とまとめてテーピングするだけの治療です。
翌日から、けがした足をぶんぶん振り子のように振って、鉄棒で足掛け回りをしておりました。
痛くないのか?


さて、けがしたのは夜。
その日に限って私は一度家に帰っていたので不在。その場にいた先生やお母さんたち(看護師含む)が、すぐに連絡をくれ、また適切に処置してくれました。
骨折だろうとは思ったので、夜間救急も考えましたが、近くでは受け入れがなかったのと、本人が元気で、「私の足へん~」と笑う余裕があったので、翌朝を待って受診。

その後も、けがしたことを苦にすることも、落ち込むことも無く、マイペースにわははと笑って過ごしているムスメであります。
強いなあ。
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# by ts-kabakichi | 2011-12-01 17:28 | ムスメ

消防フェア

先週、熱気球に乗った会場で、今日は消防フェアが行われました。


河川敷は消防士さんたちと消防車だらけ。
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はしご車のバスケットに乗って記念撮影してもらえたり、放水体験ができたり。
子どもは結構楽しめます。
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なぜか、「防火カレー」なるものも無料配布されていました。
チビ、消防ヘリの消しゴムやらペーパークラフトのプレゼントにも喜びましたが、なぜかカレーにも大喜び。


式典の様子。
表彰も行われておりまして、音楽は消防音楽隊の生演奏でした。
天気があまりよくないので、音楽隊はテントの中。

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ずらりと並んだ消防車、見てるだけで嬉しいチビでした。
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# by ts-kabakichi | 2011-11-20 11:36 | 栃木の風景

ある日のクライミングジム

幼稚園の行事のあと、子どもたちとクライミングジムに行きました。

到着したときに車で寝ちゃってた1歳児。
ジム内のマットの上に寝かされておりました。
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幼稚園児と主婦だけだったので、誰もルーフは使わない(使えない)ので、一応この下は安全。

先生が「寒かったら寝袋もあるから使ってね。」と言ってくれておりました。


先日聞いた話では、先生がここを作ったときの構想は、「クライミングジムつき別荘」だったそうです。
いいな、私も欲しい~。
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# by ts-kabakichi | 2011-11-20 01:12 | 日常

謙信平から見た富士山

12日土曜日は、兄ちゃんの剣道部の3年生を送る会でした。
朝6時半集合で、バスに乗って、東京ディズニーシーへ。

申し込みの時点で、兄弟はダメということだったのですが、バスの空き具合を見て上級生から?下の子も連れて行っていいことになっていたようで、蓋をあけたらバスに乗り込む小さい子達もいて、自分はいけないとあきらめていたチビは涙。

まあ、仕方ないよ、と集合場所から家に帰ろうとしたのですが、いい天気で富士山もくっきり見えます。
これは、太平山に行って眺めなければ!とそのまま太平山の謙信平へ向かいました。

それが、この眺め。

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謙信平からの眺めは「陸の松島」と呼ばれているそうです。
こういう、雲海が出る日に、下にある小さい山が島のように浮かんで見えるから。

私も何回もこの謙信平から富士山を眺めていますが、この日は本当に見事な眺めでした。

そのうちに、朝日が差してきて、右にある岩舟山の岩肌に当たり、その陰影もきれい。


写真を撮りに来ていた、太平山で茶店をしているというおじさんも、
「70年住んでいるけど、こんな恵まれた天気はなかなか無いよ。少しでも風が出るとすぐに雲が消えちゃうからね。」と。

本当に幸運な眺めでした。



ムスメも、
「ディズニーシー行かなくてよかった、富士山見ることできたもん。」
と大満足でありました。
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# by ts-kabakichi | 2011-11-14 14:09 | 栃木の風景