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子どもたちについて思うこと

今回は、長くなりますが、震災後ずっと思っていることの一部を書きます。


3月11日の震災の直後から、震度5強だった私の住むところは停電し、テレビなどを見ることはできなかった。
だから、リアルタイムでの津波の映像も見ていない。
耳から聞こえる情報だけだったし、そのときのラジオは被害の状況をそれほど詳しくは伝えていなかったと思うので、どれほどひどいものであったのか、その時点では想像がつかなかった。
私自身も、余震がひどく、暗い中でご飯を食べたりと落ち着かない状況で、余裕もなかった。
どんなニュースが流れていたのか、あまり耳にも入ってこなかったのだろう。


夜も余震が続いたが、おきていても仕方ないので、早めに子どもたちと布団に入った。
暗い中で枕元にいつでも手が届くところに電池式ランタンをおき、ラジオだけはつけっぱなしにして寝ていたが、眠れない。ようやく寝付いたようだが、浅い眠りを破るように、深夜のラジオから聞こえてきたニュースが今でも頭から離れない。
それは、
「福島第一原子力発電所で停電のため、冷却機能が失われた。」
というニュースだった。

そのとき、とにかく「これはまずいことになった」と、どきりとした。

その後の水素爆発などは、本当に信じられない思いでテレビの映像を眺めた。
もう、人が抑えきれない領域に行ってしまっている。

避難地域が拡大していくけれど、屋内退避なんていうことでいいのか?と思った。

そして、ある時点(おそらく3月15~16日くらい)から、政府もマスコミも、放射性物質が身近に届いたらどうするべきか?という情報を流し始めたときに、これは恐ろしいと心底思った。
報道のトーンが落ち、明らかに「落ち着いて行動してください」という方向のためのものになっていた。
もう、本当のことは知らされないのだな、何かあったときにパニックを起こさないための抑えた情報しか出てこないのだろうな、と感じた。

福島の知人から、原発にいる人からの伝聞として、本当のことは何も報道されていないということも聞いた。
今思えば、炉心が溶融しているなんて現場ではとっくにわかっていたことだったのだろうけれど、それが表ざたになると「メルトダウン」という刺激的な言葉が独り歩きしてパニックを起こすだろうから、と隠されたのだろう。


地震から2ヶ月以上たった現在、私が暮らす栃木県南部でも、放射線量は爆発的に数値が上がった3月15日ころに比べれば下がっているものの、通常値よりは高いままで推移している。
自然値に戻ってはいない、ということだ。

でも、今も変わらず毎日放射性物質が放出され続けていることに対する恐怖心が、私も含めて薄れてきてはいないだろうか。

放出されてしまった放射性物質は、ずっとこの世界にとどまるのに。
終わりはないのに。

いやなものは見たくない、都合のよい情報に頼りたい気持ちはある。
でも、ちゃんと知らなくてはならないことが、あると思う。


なお、栃木県でも、県内の全小中学校と幼稚園、保育園での放射線測定を行った。
その結果はこちら。
教育機関等における放射線量調査の結果

わが家の子どもたちの通う学校の線量は
中学校0.08マイクロシーベルト (地上1メートル)
小学校0.09マイクロシーベルト (地上50センチメートル)
幼稚園0.10マイクロシーベルト (地上50センチメートル)

1番高い幼稚園で年間の積算を計算すると

0.10μSv/h×24h×365d=876μSv

876マイクロシーベルト/年 = 0.876ミリシーベルト/年。

文部科学省が、福島の学校で年間20ミリシーベルトを上限にしていて、基準が高すぎると問題になっている。
この数値は最大値であって、最終的には1ミリシーベルトを目指すなんてことも言っているが、これくらいの線量で、すでに1ミリシーベルトに近いわけである。

年間1ミリシーベルトを上限とすると、
一時間あたりの線量は0.11マイクロシーベルト。

今回の測定は幼稚園や小学校でも地上50cmですから、これを地上に近いところで計測すると、福島第一原発から150km以上離れた栃木県南部のこのあたりでも0.11μSvなんて当たり前に出てくると思う。 

栃木県も、北部ではかなり高い数値になっていて、それこそ「県内は安全です」なんて単純にいえない状況だろう。

逆に言えば、年間1ミリシーベルトで切ってしまうと、もう半径200km~300kmだっておそらくみんな基準値を超えてしまうので、「目標値」にはできても「基準値」としては設定すること自体不可能だ。

だから、20ミリシーベルトなんていう値が出てくる。

そうやって、切り捨てられる子どもたち、土地は、今後どうなってしまうのだろう。
福島県は、こんなひどい目にあわなくてはならないのか。

それでも、その中で暮らしていくしかないのだから、と政府は思っているのだろうか。
 
浜岡原発を停止しても、日本中放射性物質を収めた建物だらけの中で、これから、どうやって暮らしていけばいいのだろう。


ずっと以前、若狭湾に海水浴に行き、対岸に並ぶ原子力発電所にぎょっとしたことがある。
道路にも、原発の看板がたくさんあって、そのとき初めて、こんなに原子力発電所があるということに気づいた。
そのときはそこから放射性物質が大量に出てくるなんて、考えなかった。というよりも考えたくなかった。

でも、私が就職活動をしているころ、泊原子力発電所の稼動が始まりつつあった北海道電力への就職を躊躇する声は多かったのだ。
若いうちは泊に行かされる。
健康に不安があるよなあ、と。

私も、周りの友だちも、漠然とした不安は抱えていたのだ。
危ないところだ、という認識はあった。

しかし、本能的な恐怖にいろいろな意味でふたをしてきたのだろう。

そして、その結果、今になって正面から向き合わなくてはならなくなっている。
いつまでも、先延ばしできるものではなかったのだ。



長くなったけれど、震災が起きるちょうど一年前に、知人と話した内容も忘れられない。

その方は、すでに仕事はリタイヤされた方だったけれど、原子力発電所の設計のお仕事もされていたので、私はこんなことを聞いてみたのだ。
そのときは、深く意識もせず。

「原子力発電所って、壊れることはないのでしょうか?」

その方の答えはこうだった。

「絶対大丈夫です。絶対大丈夫なように作ってあります。」

技術者の方は、本当に自信を持って設計されたのだろう。
それも事実だ。

私は、その方がどんなにショックを受けられただろう、と地震後に思った。


でも、原発は壊れてしまったのだ。


そして、日本にくらす私たちの生活の根本をも、破壊してしまった。


数年後に、「子どもたちの間で甲状腺がんが増えています。」などと、機械的に報道されることがないように、なんとかできないものか。

私たちは統計のための材料ではない。

みんな生きて生活しているのだ。
by ts-kabakichi | 2011-05-30 05:30 | 思うこと