昨日、市内で開催された、映画「チェルノブイリハート」の上映会に行ってきた。
構成は
1.「ホワイトホース」
2.「チェルノブイリハート」
3.「3.11ハッピーバースディ」
1.「ホワイトホース」
故郷のプリピャチに20年後に戻った青年の姿を捉える。ホワイトホースは、彼が子ども時代をすごした部屋の壁に飾ってあった大きな白い馬のポスター。
アパートの中には、彼の父が廊下に取り付けた鉄製の肋木が残っていた。
「これは火事場泥棒も持ち出せなかったんだな」と彼は言う。
避難当時、私物の持ち出しを許されなかった家の中には、もうほとんど何も無い。
肋木、ポスター、彼の兄が使っていたゴムボールくらい。
すべて、誰かが持ち去ってしまったのだろう。
窓の向こうにはチェルノブイリ原子力発電所の姿が見える。
10歳だった彼は、その火事が面白くて、近くまで見に行ったそうだ。
親には止められたけれど、寝静まるのを待って。
この撮影の1年後、彼は病死する。
※失われたプリピャチはさぞきれいな町だったのだろう。
そこで普通に営まれていた生活が根こそぎ奪われること。
生活だけではなく、健康まで奪われること。
それが、目に見えない放射能の持つ恐ろしさ。
2.「チェルノブイリハート」
映像はチェルノブイリ原子力発電所を遠望するところから始まる。
線量計が警告音を出し、線量は通常の都市ぶの1000倍だという。
そして、健康を害された子どもたちの様子が映し出される。
普通に成長できないこども、脳性まひを持つ子、知能障害を持つ子ども。
医師は、事故後、こういった障害を持つ子どもたちが増えていると言う。
また甲状腺がんの子どもたちも出てくる。
一人は、1986年4月生まれ。その直後にチェルノブイリの事故が起こっている、だから私は首の病気になったのだ、と言う。
最後は心臓疾患の子どもたち。
心室中核欠損や心房中核欠損。
どうやらアメリカのプロジェクトで手術を行っているらしい。
チェルノブイリ事故後の心臓疾患のことをチェルノブイリハートと呼ぶそうだ。
心室中核欠損や心房中核欠損は先天性のもので、ごく小さい穴であれば、成長とともにふさがるが、穴が大きかったり複数ある場合は、心臓から全身に行くはずの血液が肺に流れ込んだりするので、肺に負担がかかる。
もとから見られる病気だが、増加しているのだろうか。
※おそらく、ここに出てくる子どもたちは少なからずチェルノブイリ事故の影響を受けているのだろう。
でも、事故以前にも、色々な病気を持つ子どもは生まれている。
そして、ここには親に捨てられた子どもたちが多く出てきた。
それはチェルノブイリの影響もあるのかもしれない。
でも、違う背景もあるのかもしれない。
センセーショナルな映画だが、これだけがすべてなのだろうか、と、私は考え込んでしまった。
3.「3.11ハッピーバースデイ」
よかったらご覧ください。
※これがチェルノブイリハートの後に来ることに、私は猛烈な違和感を覚えてしまった。
これは、「希望」をテーマにした映像。
この子どもたちにはまだ「希望」があるだろう。私たちは、この子たちに希望を見ている。
でも、少なくともチェルノブイリハートに出てきた子どもたちには、それがあるのか?
あの子たちに私たちは希望を見出すことができるのか?
手術を待つ子どもたち。
大きな障害を持って生まれ、親の愛情も得られず部屋にぎゅうぎゅうに並んだ小さなベッドの上で過ごす子どもたち。
その映像の直後に、この子どもたちの映像。
対比させることを、狙っているのか?
それとも、あまりにも悲惨な内容をカバーするためか?
企画者は、チェルノブイリのような悲惨なことをおこさないよう、希望を持って対処していってほしいという意図なのだろうか。
すっきりしない感覚が残った。